2026.02.16
創業95年。父から受け継いだ修理の技術を絶やさずに。女性店主が支える“町の自転車屋さん”|鈴木商会

Z ZONEがおくる、“町の自転車屋さん”のインタビューシリーズ。
第二十弾は、台東区谷中、西日暮里駅から徒歩5分の場所に位置する「鈴木商会」さん。
父の代から受け継がれた年代物の工具が壁一面に並ぶ店内で迎えてくれたのは、三代目店主の大石孝子さん。町の自転車屋さんには珍しい女性店主です。
創業95年の歴史を誇る自転車屋の魂は、どのように受け継がれてきたのか。その裏側に迫ります。
パンク修理80年の父から引き継いだ技術

大石孝子さん
―本日はよろしくお願いします。まず鈴木商会さんの創業からこれまでについて教えてください。
孝子さん:もともと祖父が自転車工場で働いていまして、昭和6年頃に独立して現在の文京区で『鈴木源次郎商会』という名の自転車屋さんをはじめました。
父は子どもの頃、学校から帰ってくると他の男兄弟と一緒に店を手伝わされたと話していました。

創業当時の鈴木源次郎商会
終戦後、焼け野原だった今の場所で、空襲で焼けたトタンなどを集めて、父は『鈴木商会』という名で自転車屋さんをはじめました。
当時、自転車は高級なもので、今でいう車のようなものでした。
運搬に欠かせなかったので、戦後で物資が少ない中、何度も修理しながら大事に使われていたみたいです。
―販売はされていなかったのでしょうか?
孝子さん:自転車販売はしていましたが、台数が入ってこなかったみたいですね。入ってきても抽選のような形をとっていたそうです。
―それだけ貴重だったんですね。孝子さんはいつ店をお継ぎになられたのでしょう?
孝子さん:私自身、この場所で生まれ育ち、小さい頃から店が遊び場だったんですね。なので、コンプレッサーでの空気の入れ方や工具の使い方などを自然と覚えました。
その後、父が高齢になり、立ったり座ったり、重いものを持ったりするのが辛くなってきたんです。その頃は、私も結婚して家を出ていたので、自宅から通いながら手伝いをしていました。耳が遠くなっていたこともあり、通訳も兼ねていましたね。お客さまが来ると付きっきりでそばにいました。

店頭に飾ってあるお父さまの写真
―手伝いはじめた頃、お父さまはおいくつぐらいでしょうか?
孝子さん:80代後半ぐらいですかね。それまでは叔父が手伝ったり、母が手伝ったりしていたのですが、二人とも亡くなり父一人になったんですね。
その頃から、私も家族で住宅兼店舗の現在の場所に引っ越し、父と一緒に働くようになりました。それが2013年ですね。
はじめは父に教えてもらいながら、パンク修理やタイヤのチューブ交換からはじめました。
父から教わる以外にも、もう少し自転車の基礎を知りたいと思い夜間のキャリアスクールにも通いました。
キャリアスクールは若い方が多かったですね。その中でも女性は少なくて、20人ぐらい生徒がいる中で私を入れて3人ぐらいでした。
父やスクールから学びながら、5年ほど、父と一緒に働きました。父は2018年に亡くなったので、その後、自然と後を継ぐ形になりました。

お父さまから受け継いだ工具。ほぼ買い足すことなく、そのまま使用しているそう
「あなたが修理するんですか!?」と驚かれることも
―現在、働いているスタッフについて教えてください。
孝子さん:基本的には、私一人です。主人が仕事の合間に店のブログを更新していますね。店のブログには、最小限の営業関係の情報や休業期間などを載せるようにしています。
あとは、緊急で部品が必要になった時、主人に部品屋さんに取りに行ってもらうことはあります。普段は会社員なので、その合間に手伝ってもらっています。
―お店の特徴やこだわりを教えてください。
孝子さん:特に意識していることはないのですが、強いて言うなら、修理に特化している
ところですね。修理専門と思っているお客さまもいるみたいです。
最近になって、パナソニックさんの電動自転車の販売をはじめたのですが、それでも修理のお客さまが大半です。
修理に関しては、お客さまの考えを尊重し、誠実に修理方法を提案して、真面目に仕事をすることを心がけています。
―お客さまはどのような方が来られますか?
孝子さん:近くに幼稚園があるので、子乗せ自転車の方も多いですね。
朝、子どもを乗せて幼稚園に行く途中にパンクをしたという方も多く、自転車をうちに預けて、お子様のお迎えの時に自転車を取りに来る方が結構います。
あと場所がら、中高年の方も多いですね。最近は、外国人の方も増えてきました。なぜだか女性のお客さまも多いですね。
―女性店主ならではのエピソードはありますか?
孝子さん:やはり女性店主は珍しいようで、私が修理をはじめると「あなたが修理するんですか!?」と驚かれる方がいます。あと「女性で修理される方を初めて見ました」と言われたこともあります。
修理の先にある、町の人とのつながり
―地域の自転車屋さんとの交流はありますでしょう?
孝子さん:以前は台東区でリサイクル自転車の販売を行っていたんです。リサイクル自転車とは、駅周辺に放置されて、引き取り手のない自転車を修理し、区民の皆さんに販売する台東区の事業です。
鈴木商会もリサイクル協力店のため、2ヶ月に一度ほど、シルバー人材センターの倉庫に行って自転車を受け取り、それを修理して販売していました。
他のリサイクル協力店の方もシルバー人材センターに来られるので、その時に顔を合わせて話すことがありました。今は区の事情でリサイクル自転車が中止になっているので、顔を合わせる機会が減って寂しいです。
また、私が修理方法などでよくわからない場合には、地域の自転車屋さんの大先輩のみなさまに教えてもらうことがあります。助けていただき感謝しています。
―地域行事などに参加されることはありますか?
孝子さん:毎年8月に隅田公園にて開催されている『桜橋・わんぱくトライアスロン』の検車を行っています。
『検車やってます!』と店頭にポスターを出すと、小学校4年生から6年生までのトライアスロンに参加する子どもたちが、自分の自転車を持って検車に来ます。参加する自転車に決まりはないので、マウンテンバイクで本格的に参加する子やママチャリで参加する子など、さまざまですね。
うちで検車した子が「去年、優勝しました!」と報告に来てくれたこともあります。検車中に、意気込みを話してくれる子も多いですね。男の子も女の子もみんなやる気がすごいんですよ。

映画の美術として作った昔の自転車。譲り受け店頭に飾ってある
――仕事のやりがいはどのような時に感じますか?
孝子さん:修理が終わった後に「ありがとう。本当に助かった」という言葉をいただけると、この仕事をしていて良かったかなと思います。あとは修理中に交流が生まれる瞬間もうれしいですね。
――印象に残っているお客さまとのエピソードはありますか?
孝子さん:一年くらい前に、外国の女性の方が、軽快車の後輪、タイヤ、チューブを交換してほしいと持ってこられたのですね。その他にも、車輪を外してほしいと頼まれました。よくよく話を聞くと、自転車をダンボール箱に入れて飛行機に乗せたいとのことでした。
言われたとおりに分解して夕方になって自転車を取りに来られたのですが、その時に持ってこられたダンボール箱がスポーツバイク用で、あきらかに小さかったんです。車輪を外すだけだと入らないので、泥除けを外したり、ハンドルを引き抜いたり、外せるものを全て外しました。一時間半ほど試行錯誤して、ダンボール箱はパンパンになりましたが、どうにか自転車を入れることができたんです。
その後、そのお客さまが空港に着いたときの写真を、うちの店のGoogleマップの口コミに投稿してくれたんです。無事に自転車と一緒にメキシコに着いたようでほっとしました。
父から受け継いだ店を、可能な限り引き継いで
―今後の目標はありますか?
孝子さん:力仕事ではあるのですが、体に支障がない限り続けたいと思っています。経営的には非常に厳しいですけれども、細々と続けていけたら良いですね。
うちは男の子が2人いるんですけれど、2人とも会社員なので、後を継ぐなどの話は出ていません。でも、私も継ぐ気はなかったのに流れで三代目になってしまったので、もしかしたら……という可能性もあるかもしれませんね。

―これから来られるお客さまに向けてのメッセージをお願いします。
孝子さん:特に技術的に優れているわけではありませんが、正直に、真面目に仕事に取り組んでおります。よろしければご来店ください。
おわりに
創業95年。
谷中の町で長く人々の暮らしを支えてきた「鈴木商会」。
取材の中で印象的だったのは、お客さまから
「あなたが小さいころから、よくお父さんに自転車を直してもらっていたんだよ」
と声をかけられることがある、という話でした。
孝子さんは、子どもの頃のことなので覚えていないそうですが、そんな何気ない一言からも、この店が長く地域に根づいてきたことが伝わってきます。
鈴木商会は今日も、谷中の町で、自転車と人の毎日に寄り添っています。自転車で困ったことがあった際は、ぜひ、一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。
【Information】
店名:鈴木商会
住所:東京都台東区谷中 3-24-2
電話:03-3821-7445